お金を頂くという事は「価値」の交換である

みなさま、こんにちは。 

今日のエッセイのタイトルは「お金を頂くという事は価値の交換である」です。 

私たちは意識する/しないに関わらずお金を使い、「何かの価値」と交換しています。

例えば、こういったケースが考えられるでしょう。 

  1. 車のガソリンがなくなったので、ガソリンスタンドでガソリンを入れる。 
  2. ランチは、Food PandaでKFCをデリバリーして食べた。 

例えば、ケース1の「車のガソリンがなくなったので、ガソリンスタンドでガソリンを入れる」は、

ガソリンという価値と、お金を交換しています。交換したことで、

ガソリンを手に入れ、車を動かすことができます。 

ケース2は「ランチは、Food PandaでKFCをデリバリーして食べた」ですが、

KFCにランチを注文して、ランチが届き、おなかを満たすことができます。

KFCは私に対して、おなかを満たすという価値を創造しています。

そしてFood Pandaを利用したことで、

Food Pandaは「ランチを届ける」という価値をKFCと「私」に対して提供しています。 

これは一方通行ではなく、双方向であるという事がわかります。

双方向も2つではなく複数になっていきます。 

もう少し深く見つめると、この価値の交換は、相手のニーズを満たすか、

問題を解決するかして価値を提供しています。

私たちは「ニーズを満たす」か「問題を解決してもらう」ことの対価としてお金を提供しています。

その価値の交換が嫌だ…とか、お金がかかるので嫌だ…となった場合は、自分で行う必要があります。 

ケース1の「ガソリンを入れる」というニーズに関しては、

自分で解決するのが難しいという事が想像できると思います。

油田を見つけ、石油が出るまで掘り続け、使用できる状態になるまで精製し、

船で目的地まで運搬。そこから各小売店に運搬する…。

この工程を自分でやるのが無理だと判りますね。 

そこで、これを私たちの仕事にしたらどうなるのだろうと考えます。

目の前にいる人は、何で困っているのだろうか?を考えます。

この困っていることを本人が自覚しているケース(顕在的ニーズ)

と自覚していないケース(潜在的ニーズ)があります。

この中でも自覚していないケース(潜在的ニーズ)は、本人が自覚していないので、

表面化した時にはより価値がある、より価値が高いニーズとなってきます。 

冒頭で「お金を頂くという事は価値の交換である」と述べた通り、

「価値」に困難や重きがあると、それだけ金額として高くなるという傾向にあります。 

みなさんのお仕事では、何と価値を交換しているでしょうか? 

何かのご参考になれば幸いです。 

タイ語のエッセイはこちらからどうぞ↓

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