同じ経験をしても捉え方で事実は変わる

みなさん、こんにちは。

今日のエッセイのタイトルは「同じ経験をしても捉え方で事実は変わる」です。

私たちは、同じ物を見ても、同じ時間を過ごし体験しても、

10人いたら10人とも「感想が違う」、「印象が違う」ということは普通にあります。

簡単に言うと、同じ物を見て、同じ体験をしたにも関わらず

「良かった」、「悪かった」、「楽しい」、「つまらない」などと、

人によって「事実」が異なります。

それが一緒だと、「価値観が一緒」「あの人とは気が合う」ということになり、

恋愛感情を持ったり、親近感を覚えたりするわけです。

ちなみに日本では離婚の理由の第一位は男女ともに「性格の不一致」となっております。

この写真は「AURA」というタイのミネラルウォーターですが、

私はこれが「水」というのが判っていますので、理解できます。

人によっては、「炭酸水」というかもしれませんし、

そもそも飲み物だと思わない人もいるかもしれません。

また、見る角度によって、AURAというミネラルウォーターのキャップしか見えなかったり、

底だったり、成分表だったりします。

AURAというミネラルウォーターのボトル(=事実)ですが、

人によって、見え方(=捉え方)が違います。

私は普通の人間ですので、感情である喜怒哀楽があります。

人によって、外面上わかりやすい人と判りにくい人がいますが、誰もが感情は持っています。

出来れば、「喜(喜び)」と「楽(楽しい)」の感情が多い方が、

人生が豊かになりそうというのは想像がつきますが、

日々生活をしているとそういうわけには行きません。

何か物事が起きたとします。

その物事は、物事としては1つで事実なのですが、私たちは瞬間に反応はします。

反応というよりも感情が揺さぶられるという言葉の方がしっくりくるかもしれません。

不思議なことに、感情が揺さぶられるときというのは

「怒(怒り)」と「哀(哀しい)」が多くなります。

これには理由があって、脳の反応として、痛みを伴う方が残りやすいからです。

この痛みは、過去の経験や環境から創られます。

何か自分にとって、インパクトがある出来事があったときに、

それをどのように捉えるかは自分次第だと思います。

一瞬は「怒(怒り)」と「哀(哀しい)」になったとしても、

客観視することで、物の見方を変えていきます。

意味付けを加え、自分にとって必要な経験、そして学びだったと捉えています。

そうすることで、自分の人生をより良いものにしています。

その方が、人生がより豊かで充実したものになるような気がします。

何かのご参考になれば幸いです。

タイ語のエッセイはこちらからどうぞ↓

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