今日のエッセイは「自由には責任が伴う」です。
先日ニュースでSNSの一つであるTwitterの話題が出ていました。
このエッセイを執筆している現在、テスラモーターのElon Musk氏が買収の交渉をしています。
Twitterは実名でも匿名でも利用できるのですが、
Elon Musk氏が買収した場合「実名での利用」が義務付けられる可能性があるという報道でした。
下の図は「ツイッター利用者における実名・匿名利用比率」です。
(引用:https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20141004-00039639
諸外国に見るソーシャルメディアでの実名・匿名の利用実態の違い)
タイの統計がないのですが、この図を見ると日本では匿名で利用する人が75%あり、
この図にあるアメリカ、イギリス、フランス、韓国、シンガポールと比較して、
圧倒的に「匿名での利用が多い」というのがわかります。
私が見ていたニュースでは、
それぞれの国との「自由」という言葉の「捉え方」の違いから、
実名か匿名かの違いが生まれるのではと解説していました。
日本では、Twitterが問題視されることが多くあり、
その多くが「誹謗、中傷」にまつわることです。
誹謗、中傷の書き込みをする人の多くが匿名で利用しています。
ニュースでは、日本人の多くが「自由とは、相手の立場や心情を考えず、
自分が思うことを好きに何でも言って良い」
と捉えている傾向があるのではと分析していました。
では、実名だった場合、同じ書き込みをするのか…ということです。
統計にあるアメリカ、イギリス、フランスでは「自由には責任が伴う」という考えが基本的にあります。
Twitterを例にとると、匿名か実名化は問わず、発言したことには責任が伴う…ということです。
今回はTwitterを例にとりましたが、
社会にはたくさんのルール(例:法律、規則、社会的な習慣)がありますが、
心理学上「人間は規制があったほうが生きやすい」と言われています。
規制とは「〇〇するな。〇〇を守らなかったらXXという罰を与える」です。
不思議なことに、人は規制に対しては反発したり文句を言ったりします。
規制が多い国ほど、
規制と罰則がないとルールが守られない国と言われています。
では、これらのルールがなくなり「自由」になったら、
どうなのでしょうか?「責任が伴う」ということを考えると、自分で自分を律し、
ルールがあってもなくても「正しい言動、正しい行動」をしなければいけないといわれています。
1人1人の自覚が重要だと気付き、何かのご参考になれば幸いです。